愛しい(いとしい)と書いて かなしい と読む
2026 APR 13 0:00:32 am by 西 牟呂雄
万葉の時代、『愛し』を『かなし』と読んだそうな。
嘆き悲しむの度を越して、愛する対象がモノであれヒトであれ心の底からいじらしく思うところまで行ってしまうと『かなし』となるらしい。
アッという間に散ってしまう桜なんかを愛でる気持ちなぞは、誠に『かなし』いもの、といえば腑に落ちる。
その『かなし』が『悲しい』と共存していたのか転訛していったのか、興味深い。
古代の大和言葉の単語数が絶対的に不足していたので、日本人は同じ発音の語をその都度使い分けていたところ、便利な漢字が入ってきたので相応しい文字を当てていったのかもしれない。だとすれば、初期の『愛し(かなし)』を当てる際にこめられた『かなし』の、なんと細やかな思い入れだろうか。
たとえて言えば、遠い彼方で異国の兵士が戦いの中で倒れて亡くなっていくのは悲しいが、目の前の赤ん坊が必死に泣いているのは愛しい(かなしい)。
そう考えて似たケースを想像してみると『おそれる』なども『恐れる』『怖れる』『畏れる』と表記するが、このうち『畏れる』は際立ってヤマト的な意味の『おそれる』ではないか。神韻縹渺の清々しさの中で八百万の神々を静かに敬う、という感情は一神教のGodを『恐れ』たり絶対権力者の皇帝を『怖れ』るのとは違う。
この桜の時期にやたらと神主さんや坊さんの話しを聞き、些か我が魂は清らかになったようだ。
改装中の喜寿庵には何と神棚がしつらえてあって、いっそこの際捨ててしまおうかと思ったが、大工さん達が「それだけはヤメろ」と寄ってたかって説得され、おまけに宮司さんまで紹介されてしまい、厳かに『霊移し』と『霊鎮め』の儀をやらされた。改装工事に従って神棚を移動させ戻したからだ。一般に建築・土木の従事者は神事を貴ぶので仕方なくやった。
そのあたりで開花宣言がなされ、満開の頃は亡母の命日で今年は十三回忌にあたる。一昨年身罷った親父は三月(みつき)遅れで三回忌だから面倒なので一遍にお経を読んでもらい、両親を懐かしんだ(オヤジは『テキトーに早めやがって』と怒っていたかもしれないが)。
そして今年も満開になった菩提寺の枝垂れを見て気が付いた。
今、命あるものをいつくしみ、しみじみと思うものが『愛しい(かなしい)』で、すでに亡きモノを儚く感じるのが『悲しい』なのだ。咲いた桜は愛しく、散った桜は悲しい。
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